レンズとボディと私。

野鳥撮影から、いつの間にかアウトドアに魅了されたのだ。

ワイヤレス至高主義

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ワイヤレス至高主義に成り下がった(?)最近の私。今回は複数ある趣味の中の1つである音楽鑑賞の話。音楽を聴くことが好きではあるが、どちらかというと作曲者の音作りやそれに関わるセンスが好きという感じである。歌詞はあまり重要ではなく、声を音として吹き込む時のテンポの良さやリズム感の方が重要。

アーティストは人であるが、人(人柄)は音楽にあらず。例えアーティストが浮気、大麻、性犯罪を犯そうとも、曲にはなんら関係ない。メディアに操作されて植えつけられたイメージで物事を判断するほど哀れな事はないと思っている。要するに私は他の人とは曲を聴くということにおいて視点が違うということが主張したいのだ。

そんな私は音楽でも機材好きである。かつてはお高いDAP(デジタルオーディオプレイヤー)にお高い有線イヤホンを組み合わせ、容量が大きいデータを耳に響すのが好きだった。やはり良い機材というのは鳴らせる音の解像度、量、厚みが段違い。機材の組み合わせによって音が変わるが、好みの組み合わせに落ち着いた時は至高である。例えるならば12色の色鉛筆で描く絵と、1200色の色鉛筆で描く色ほどの差。グラデーションが素晴らしいのだ。

今でも高音質で音楽を聴く環境は持っている。家ではスピーカーやヘッドフォン、出先ではイヤホンを

使用している。が、しかし、最近は音質を優先しない方向にシフトしてきた。自宅ではAmazon echoに音楽を流すよう命令しechoのスピーカーで聴き、寝室ではSONYのMDR1000X、出先ではAppleAirpodsを使用するというワイヤレス至高主義へと成り下がったのである。

ここで言っておきたいのは、MDR1000Xはワイヤレスでも高音質。一概にワイヤレスが音質が良くないと言うことはない。ワイヤレスは素晴らしい。ケーブルから解き放たれるのがこんなにも気持ちが良いものかとつくづく思う。ケーブルのタッチノイズもなければ絡むこともない。移動中に何かに引っかかることもない。そこにあるのは自由だ。

まるで頭の中で音が鳴っているだけで、イヤホンやヘッドフォンはその存在を消している。特にMDR1000Xは快適そのもの。これにはノイズキャンセリングも搭載されているので本当に音楽鑑賞に没頭させてくれる。

本格的な音楽鑑賞が好きだが、要は環境や場面で使い分けをすることが音楽を楽しむために必要なのだと思う。細かな音をじっくりと聴き、アーティストのセンスや意図を感じたい時もあれば、音楽全体をざっくりと流すように聴きたい時もある。ワイヤレスはその為の煩わしさを全て消し去ってくれる。特にAirpodsの音質は優れているとは思わないが、快適性はこの上なくじっくり聴かない移動中などは音楽を自由に楽しませてくれる。

安いイヤホンは音楽を殺している。同時に信念や技術を持って音を作り上げたアーティストも殺していると思っている。人それぞれだが、それをファンだと私は思わない。ちなみにアーティストが音作りをする時は、安いイヤホンや音質の悪いスマホのスピーカーなどで聴くことも想定しているらしい。