レンズとボディと私。

野鳥撮影から、いつの間にかアウトドアに魅了されたのだ。

「趣味」と「好き」

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趣味と好きについて、最近よく思うことをいつもの様につらつらと。仕事で新人の教育を担当している私は、新人に簡単に自己紹介をした後に必ず聞く質問というのがある。「趣味は何かありますか?」という一言だ。するとだいたいは「音楽鑑賞です」とか「ライブに行くことです」とか、はたまたアクティブ系の回答が返ってきたりする。

そこで追加でもう一つ質問する。「それの魅力は何です?」と。そうすると殆どの確率で「楽しいから」という答えが返ってきて、それ以上の回答はない。嫌味っぽく聞こえるかもしれないが「それは好きな事でしょう」と伝える。真意はわかる人はいない。

私が思うに「趣味」とは、読んで字のごとく「趣(おもむき)」を「味(味わう)」ことにあると思う。楽しいだけならそれは好きな事で、言ってしまえばその程度のものなら趣味とは言えないと思うのだ。趣とは面白さや味わいという意で、味わうとは物事の意味を十分に感じるという意。

どのような趣味にでもそれらが必ず存在して、それは殆どその物事の本質を突いていると思う。何をどう使って、何を知って、それをどの様に解釈し、何という学びを得るか。例えば私が好きな写真撮影という趣味で言うと、カメラとレンズとそれらを扱う知識、技術を用いて、刹那を切り取ることを通して絶え間なく続く時間の流れの中の瞬間を知り、得られた写真や被写体からこの世の摂理や儚さを知り、身近にある物や事象の美しさに気づく。というような感じになる。

カメラを扱うとなると当然ながら、技術仕様は頭に入れなければならない。シャッタースピードやAF、自分が許容できるISO感度、連写可能枚数など。レンズなら焦点距離F値、美味しい焦点距離(解像度)、ワーキングディスタンスなど。使う道具全てに仕様があり、それらを理解し使用する知識と技術が必要になる。ここまでして初めて「道具を使う」ということが可能になる。

最近は写真でも「ニワカ」が増えてきた。ただシャッターを切ったり、意図もなく水平を無視したり、被写体の持つ魅力を無視したり。高い機材を買って、よくわからないまま使っていたり。色々だ。あくまで「写真撮ってる私、オシャレでしょう」という主張が大切であって(自覚がない場合もあるが)、写真に写っているノイジーで斜めになった被写体の魅力は無視するのだ。それでも良いと思う人は多いのはわかる。当然「楽しさ」や「満足感」を感じることも大切だ。

ただし、それらが一時的な快楽に過ぎないことは忘れてはならない。快楽である楽しさからは何も生まれはしないと思う。知識、技術、学び、それらはそこには無いだろう。