レンズとボディと私。

野鳥撮影から、いつの間にかアウトドアに魅了されたのだ。

アドバンテージ

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アドバンテージ(advantage)とは前進や優位性という意味。ここでは優位性という意味のみに注目する。カメラは今、革新の時を迎えている。数年前までは一眼レフのサブ機という扱いだったミラーレス機だが、昨今ではメインとして使える機種がどんどん出て来ている。

ミラーレス機のメリットは言うまでもなくミラーがないこと。ミラーボックスがないことで画質低下の要素となりうるミラーショックを無くすだけでなく、フランジバックが短くできる為にレンズ設計の自由度が上がる。これはミラーレス機が世に出た時から言われているメリットであり、一眼レフに対するアドバンテージだ。

ミラーレス機はどんどん進化し、多様性が生まれてきた。M4/3センサーを搭載する物、APS-Cセンサーを搭載する物、はたまた流行りの35mmフルサイズセンサーを搭載する物など。大きく分けると3つのセンサーサイズに分かれている。

センサーサイズが多様化する中、ミラーレス機の中でのM4/3のアドバンテージは、やはりシステム全体が小型軽量であることだろう。画質面では大きなセンサーが優位である点はこの先も覆らないだろうから、M4/3が目指すべき所はセンサーサイズが小さいが故に生まれるメリットを最大限に生かすことになってくる。

センサーサイズが小さいというデメリットになりうる要素をアドバンテージとして活かすには、システム全体の小型軽量化だけでなく、望遠側に強いというメリットも活かす必要がある。

APS-Cサイズや35mmフルサイズでは価格と大きさの面から作れないであろう、焦点距離1000mmを達成する物や、明るいF2.0ズームレンズをラインナップするなどあっても良いのではないだろうか。流石にM4/3とはいえ焦点距離1000mmとなると価格も高くなるだろうが、それでも他のメーカーがその価格帯で販売できない価格でリリース出来るはず。

重量が増すとマウント強度が気になるが、その点はいくらでも改良点があるだろう。ミラーレス機が多様化する中、M4/3はこのさき苦戦を強いられる。他のセンサーサイズには無いアドバンテージを如何に上手く使えるか、上手くアピールできるかが生き残りのために必要だろう。

気に入っている300mm F4 PROなんかはM4/3ならではのレンズで、アドバンテージを活かした産物だと思う。ユーザーに対する訴求力を高めるための技術をこれからもOLYMPUSPanasonicには開発して欲しい。今のところユーザーへの訴求力という点ではSONYが一番だろうなあ。

進化の刻

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進化の刻が来た。E-M1 MarkⅡの新ファームウェアVer.2.0が噂通り2月28日にリリースされた。私と同じE-M1 MarkⅡのユーザーは歓喜したのではないだろうか。と、同時にもう少し欲も出たが。

まだアップデートを行なっていない私が、全17項目にわたるアップデート内容のうち気になったのは以下の6点。

・AFターゲットモードにスモールターゲットを追加しました。
・プロキャプチャー撮影時のプリ連写枚数を最大35コマまで設定できるようになりました。
・プロキャプチャー撮影時に記録中であることを表示するように改善しました。
・プロキャプチャー撮影が可能なレンズを追加しました。
・AEL/AFLボタンを親指AFに設定したときのレスポンスを改善しました。
・静止画撮影時のC-AFの性能を向上しました。

スモールターゲットの導入とC-AFの性能向上、加えて親指AFのレスポンスは野鳥撮影において効果を発揮してくれるだろう。C-AFは現状でも満足しているが、しゃくるような動きをすることがあるのでそれが改善されてピタリとピントが張り付いてくれるとありがたい。

プロキャプチャーモードでのプリ連写枚数が35枚になったのも、撮影した画像の中から好きな瞬間を選べる幅が広くなったという点では嬉しい進化だ。

しかし残念な点も。17項目にも及ぶファームウェアアップデートは凄いことだが、連射速度の向上がなかったのが残念だ。AF/AE追従で秒20コマがハイエンド機(G9proやα9)で可能になってきている昨今、是非ともE-M1 markⅡにも20コマを達成して欲しかった。現在の秒18コマでも何も不満はないが、やはり連射は早いに越したことはない。

流石にそこまでのことをファームウェアアップデートでやってくることは今後もないだろうが、今回のVer.2.0は素晴らしいアップデートだ。今後もOLYMPUSにはこういった努力を続けてもらえると、ユーザーとしては嬉しい限りだ。

砂嵐と詰め替え用

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砂嵐と詰め替え用の謎について、下らないけど調べて見たのでいつもの様につらつらと。時々頭の中に急に文字が浮かんだり、光景が浮かんだらすることは私にはよくあることだ。

例えばテレビの砂嵐。チャンネルを回すと受信できないチャンネルでは「ザーー」という音とともにグレーモザイクが映し出される。そういうものだと思ってしまえばそこまでなのだが、ふとアレはなぜあのようになるのかという疑問がよぎる。

私の辞書はiPhone 7 plus。機械というのは有益に使ってこその価値である。いつもの様に検索してみると、あの正体はノイズであるという答えが出てきた。信号が画面にノイズとして現れ、あの独特の砂嵐の音が流れるんだそうな。ちなみに現在は砂嵐を目にすることはない。地デジへの移行のタイミングで消えたそうな。そう聴くと、価値が無いように思っていたものでもなんだか寂しくなるような。

そしてもう1つの詰め替え用についての謎。気づいている人も多いだろうが、シャンプーやボディーソープ、ハンドソープなどの詰め替えはボトル売りよりも内容量が少ない。例えばボトル売りの内容量が500mlだとすると、詰め替え用の容量は430mlだったりする。

おかしな話である。詰め替え用なのだから500mlで良いのに、なぜわざわざ少し少なめにして売っているのか。答えは「詰め替え」という行為が行われる所にあった。メーカーの見解では、中身が全てなくなるまでに詰め替え用を入れる消費者が多く、中身が溢れてしまわないよう敢えて少し少なくしているらしい。中身が泡立ってしまった時に溢れるのを防ぐという目的もあるんだとか。

私は中身を全て使い切ってから詰め替えるのでその理屈がイマイチ理解できないが、使い切る前に詰め替えるのが一般的ということなのだろうか。

ちなみに、これもご存知かもしれないが詰め替え用が必ずしもお得ということばかりではない。計算するとボトル売りの方が安かったりすることもしばしば見受けられる。イメージに騙されて買う人も多いかもしれないが要注意だ。

OLYMPUSユーザー

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OLYMPUSユーザーをいつも野鳥を撮影に行く場所で見つけた。私もOLYMPUSユーザーだが、いつも行く場所でOLYMPUSを使っている人を始めて見たので少し驚いた。いつもの場所ではCanonユーザーを見る事が多く、ついでNikonユーザー、そしてSONYユーザーも少数といった感じだ。

やはり野鳥撮影ともなるとレンズラインナップが十分に揃っており、AF性能が高く、自然な見え方のOVFが搭載されている一眼レフを使う人が多いが、ミラーレスとは。失礼ながら私のように若年ではなく、中年男性だったのでミラーレス機を使っている事が珍しいと感じた。

その方とは野鳥の話や私が持っている機材について30分ほど話した。こういう出会いがあるのも野鳥撮影の楽しみだと思う。風景写真となると「何か撮れましたか?」という質問は無く、基本的に皆静かだ。大きな三脚を立て、黙々とレリーズでシャッターを切るといった感じ。それが野鳥撮影だと、「何か撮れました?」「さっき、○○がいましたよ」みたいな話になり、そこから会話が続く。見ず知らずの者同士だが、共通の趣味の話は楽しいものだ。

この日は快晴で多くの人と出会った。暖かくなり、人も出てくるようになったなと思った。人は多かったが野鳥には殆ど出会えず。エナガシジュウカラシロハラなどがよく鳴いていたがあまり姿は見られなかった。お目当てのルリビタキミソサザイは写真に残せず。ミソサザイの様な影を見たがあっという間にどこかに消えてしまった。ルリビタキには会えなかった。

記事TOPの写真の鳥はアトリ。下らん話、スズメに似ているなと思ってしまった。実際はアトリの方が大きい。35mm換算840mm F5.6で撮影した。テレコンを噛ませてもしっかり解像するPROレンズはやはり素晴らしい。改めて言うまでもないが、ある程度の光量があってもF5.6は少し暗いかな。800mm F4とか出てくれたら良いのになと思う。(買えるかどうかは別問題)

 

ワイヤレス至高主義

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ワイヤレス至高主義に成り下がった(?)最近の私。今回は複数ある趣味の中の1つである音楽鑑賞の話。音楽を聴くことが好きではあるが、どちらかというと作曲者の音作りやそれに関わるセンスが好きという感じである。歌詞はあまり重要ではなく、声を音として吹き込む時のテンポの良さやリズム感の方が重要。

アーティストは人であるが、人(人柄)は音楽にあらず。例えアーティストが浮気、大麻、性犯罪を犯そうとも、曲にはなんら関係ない。メディアに操作されて植えつけられたイメージで物事を判断するほど哀れな事はないと思っている。要するに私は他の人とは曲を聴くということにおいて視点が違うということが主張したいのだ。

そんな私は音楽でも機材好きである。かつてはお高いDAP(デジタルオーディオプレイヤー)にお高い有線イヤホンを組み合わせ、容量が大きいデータを耳に響すのが好きだった。やはり良い機材というのは鳴らせる音の解像度、量、厚みが段違い。機材の組み合わせによって音が変わるが、好みの組み合わせに落ち着いた時は至高である。例えるならば12色の色鉛筆で描く絵と、1200色の色鉛筆で描く色ほどの差。グラデーションが素晴らしいのだ。

今でも高音質で音楽を聴く環境は持っている。家ではスピーカーやヘッドフォン、出先ではイヤホンを

使用している。が、しかし、最近は音質を優先しない方向にシフトしてきた。自宅ではAmazon echoに音楽を流すよう命令しechoのスピーカーで聴き、寝室ではSONYのMDR1000X、出先ではAppleAirpodsを使用するというワイヤレス至高主義へと成り下がったのである。

ここで言っておきたいのは、MDR1000Xはワイヤレスでも高音質。一概にワイヤレスが音質が良くないと言うことはない。ワイヤレスは素晴らしい。ケーブルから解き放たれるのがこんなにも気持ちが良いものかとつくづく思う。ケーブルのタッチノイズもなければ絡むこともない。移動中に何かに引っかかることもない。そこにあるのは自由だ。

まるで頭の中で音が鳴っているだけで、イヤホンやヘッドフォンはその存在を消している。特にMDR1000Xは快適そのもの。これにはノイズキャンセリングも搭載されているので本当に音楽鑑賞に没頭させてくれる。

本格的な音楽鑑賞が好きだが、要は環境や場面で使い分けをすることが音楽を楽しむために必要なのだと思う。細かな音をじっくりと聴き、アーティストのセンスや意図を感じたい時もあれば、音楽全体をざっくりと流すように聴きたい時もある。ワイヤレスはその為の煩わしさを全て消し去ってくれる。特にAirpodsの音質は優れているとは思わないが、快適性はこの上なくじっくり聴かない移動中などは音楽を自由に楽しませてくれる。

安いイヤホンは音楽を殺している。同時に信念や技術を持って音を作り上げたアーティストも殺していると思っている。人それぞれだが、それをファンだと私は思わない。ちなみにアーティストが音作りをする時は、安いイヤホンや音質の悪いスマホのスピーカーなどで聴くことも想定しているらしい。